昔、鹿角では山に入って木の伐り出しをする人達を山子と呼んでいた。山子たちはリーダーを頭に5・6人のグループで山に入っていたが、わずかな道具と食糧しか持っていけないので食事は簡単に済ませなければならなかった。
残った飯は杉串に巻きつけておいて、夕方、仕事を終えて小屋に戻ると、串を取り出して味噌をつけ、火にあぶって焼いて食べていた。その味噌には山の幸であるクルミが入っていた。

 ある時、花輪の町に南部藩の御境奉行(殿様とも言われているが、地元の町では御境奉行説が有力)が警備の視察に来ることになった。
ご機嫌を損ねては大変と、接待役はもてなし料理を考えるのに苦労していた。そして、目をつけたのが山子たちの料理だった。串に刺して焼いた飯はクルミ味噌も香ばしく美味しいので御奉行はたいそう喜んだ。
「これは美味なるもの。形が槍のたんぽに似ているからたんぽと言うがよい」とおっしゃったという。

現在のように鍋料理になったのは鹿角に醤油屋が開業した明治5年以降のこと。一般家庭で食べるようになったのは明治10年代であった。
鍋料理ではたんぽを切るから「きりたんぽ」というようになった。

きりたんぽは新米とキノコ・セリが出揃う秋のご馳走である。地鶏のガラをじっくり煮たスープ、きのこの王様マイタケ・野の香りのセリ、ネギ・ゴボウ・コンニャクなど、そして何より杉串で焼いた新米の美味しさは格別である。野と山の幸をたっぷり入れた郷土自慢の鍋料理である。
<秋田魁新報記事参照>


比内鶏

比内地鶏の原種である比内鶏は、薩摩鶏、名古屋コーチンと並ぶ日本三大美味鶏のひとつとして知られています。古くから大館・比内地方で飼われてきた比内鶏は、キジ、ヤマドリに近い香気と風味で広くその名を知られ、昭和17年には国の天然記念物に指定されました。

よく鳴き、よく飛び跳ねる放し飼いによりしまった肉質になり、江戸時代には、味の良さから年貢として藩主に献上されていたといわれております。


比内地鶏

「比内鶏」は天然記念物であるため食することができません。そのため食用として品種改良され、比内鶏のオスとロードアイランドレッド(赤鳥系)のメスをかけ合わせたものが「比内地鶏」です。ブロイラーの約3倍もの期間をかけ、じっくり飼育されています。

食するのはメスのみ(写真右)で、オスはヒナのうちに処分されるとの事、メスの方の肉質が比内鶏によく似ているためである。

■当店のきりたんぽ鍋にセットされている比内地鶏は以下の条件の下に飼育されております。

・鶏種 比内鶏一代交配種(オス 比内鶏、メス ロードアイランドレッド)
    *内臓は使用しておりません

・飼育形態 放し飼い(冬期間は鶏舎内にて飼育)

・給与飼料 無薬飼料(肉骨粉は含まれておりません)

・出荷日令 165日〜180日

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